原発に対する危機感の正しい立ち位置

先日、ニコニコ動画の生放送で、現状の原発事故による放射線物質拡散に対する危機感、あるいは原発そのものに対する危機感をどのように持つべきかというような話がされていた。その放送ではかなり客観的な立場をとっていて、原発事故より以前に原発に対して過剰に危機感を持っていたといわれる人たちの言説がやや説得力を持ってきているから、中庸の立場は原発事故よりやや危機感を持つほうに傾いている。しかし、過剰に危機感を持ちすぎず、今の中間的な位置を認識し、いろいろなメディアから情報を仕入れ、デマに踊らされないようにしたほうがよいというような内容だった。放送を見ていたときはその通りだと思っていたのだが、放送中にやたら危険と安全との中間位置を強調していたのが気になった。さも中間位置にいることが、正しい立場であるような言い方だったが、原発に対する危機認識の正しさを、中間的立場が何ら保障するものではないからだ。同じ正しい情報を得たとしても、その情報に対してとる態度や得る感情は人それぞれだ。大丈夫だろうと関東にとどまる人もいれば、西へ逃げる人もいる。危機感のミドルポイントを知って、それを正しい危機感認識だと思うのは、メタ的な危機認識であり、数ある危機認識の一つでしかない。
結局個々で判断して、行動するしかないのだけれど。

普段は本やゲームの感想中心で、自分語りはしないのだが、どうもそうもいってられない。
しかし、啓蒙書の内容を自分にあてはまて書くのである意味では感想でもある。

なぜあなたはその仕事を先送りしてしまうのか?という書籍について。


世の中にはやらないといけないことを先のばしにしてしまう人がいる。私もそうだ。夏休みの宿題はぎりぎりまでためこんできた。


修士論文をしあげねばならない。
この行動をさまたげるのはなにか。

妨害するものたち:
自分が評価されないのではないのかという恐怖心
指導教官からのお叱り
過去のいや体験。
想像上の他者からの評価
時間がない。焦るのは当然。
評価はいいにこしたことはないが、相でない場合もありえる。死ぬわけではない。
他の人との比較。比較されるが、別にどうということはない。


不合理な信念:
完璧でなければならない→完璧な人間はいない。

しなければならない→したい

修論をしあげねばならない。→興味の対象について調べることである。interest

ごほうび→みるき

ひさびさの更新

最近読んだ本についてひとこと。


超能力者たちの夏


主人公が学校で問題を起こし転向した先が超能力者だらけの学校だった、という設定。
基本的には学園青春物ものだが、もうひとつ主題としてなぜ超能力はその存在を立証されないか、という問いに対するひとつの答えが示されている。現実の世界に超能力が存在するか、は置いておいたとしても、なかなか整合性のとれる解釈で興味深かった。


うちのメイドは不定形


クトゥルウフ神話をモチーフにした、ボーイミーツガール(?)。ある日突然やってきたのは
スライムのように特定の形をもたない知的生命で、あらゆるものに姿を変えられ、普段は
可愛らしいメイドの姿をしている。どっかでクトゥルウフを題材にした似たようなライトノベルがあったが、個人的にはこっちのほうが面白かった。不定形のメイドさんの名前は
「てけり」というのだが、確かに人間らしさというのを学習して、それらしく振舞っているのだが、やはり人あらざる部分が残っていて、魅力がある。人の能力をはるかに超える
存在であるにもかかわらず、そういった人外に、可愛らしいメイドの姿で奉仕されるというのは、まるで矮小な自己が優しく包み込まれるような感覚を覚え、至高である。



二人の距離の概算


ほうたるとえるがもっともっと近づきますように。


あるいは脳のうちにすむ彼女


アンドロイドとのよくあるほのぼのコメディーかと思いきや、うってかわって、エルグロ
でおどろいた。